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母の存在

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私は一人娘です。

社会福祉士一般養成科に通うようになって、母の認知症は急に進み始めました。

最初は同じ話を何度も繰り返す、自分で何か忘れてしまったことに対し、急に不安になるのか

仕事中であろうが授業中であろうが何度も着信がある…このくらいならまだよいのですが、

トイレにたくさんトイレットペーパーを流してしまい、詰まらせて部屋まで水が溢れる…。

いろいろありました。

在宅で週3日デイサービスに通い、お友達と楽しそうに過ごしていましたが、急に体調悪くなったり

いろんなこともあり、通学している学校も時々遅刻してしまったり、定期試験の勉強ができなかったり、

イライラすることもたくさんありました。

前職を辞めたのも社会福祉士の資格とるためもありましたが、遅刻早退欠勤など、

仕事に影響を与え始めたことも正直、退職の理由でもあります。

介護離職…一人娘の私には今まで育ててもらった母への恩返し、今度は自分が面倒みる番だと思っていましたから。

しかし、人間ができていない私は通学し始めたころに母にイライラしてしまったり、

母のしたことの始末をすることに無性に切ない思いをしていたのです。

あとで親不孝だったと思い、後悔はするのですが、「なんで?」と思ってしまうことも多かったです。

「自分のことが何もできなくなったら施設に入る」というのが口癖の母でしたが、

当時88歳、認知症の自覚はなく、自分の家で生活することになんのためらいもなかったと思います。

トイレのつまりが相当ひどく、あふれることが頻繁になって業者に修理を頼んだところ、

着工から工事完了まで1週間くらいかかると言われ、その間、トイレの使用ができなくなるので、

急遽、母はショートステイを利用することになりました。

私が実習の時や国試の間際には勉強に集中するためにショートステイを利用することをケアマネさんに

相談していたので、慣れるのにちょうどよい機会かもしれないと言われ、お願いしました。

最初はとても抵抗があったようですが、実際、利用してみたらお友達ができて、とても楽しかったとか。

新しい施設での至れり尽くせりの生活は古い家屋で不自由さがあった我が家よりも

住み心地がよかったのでしょうか。

それから実習や国試前にも利用してもらいました。

言い訳になってしまいますが、そんな状態で2月の国試の勉強を本格的に始めたのが年明けです…(-_-;)

そして私が最初に受けた第34回の国家試験はボーダーが105点という異常事態の年でした。

100点は超えていたので、今までの例から私も合格してるかな、なんて呑気に思っていたら

まさかの2点足りず不合格…( ノД`)

絶望感でいっぱいでした。

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この記事を書いた人

大学卒業後、高校教師となり、結婚、出産、子育ての後、20年振りに社会人となり、その後、親の介護にて福祉職に目覚め、社会福祉士の国家試験に合格。
4月より福祉職にて就労開始。

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